ヤマハ初期製造番号3848番 1900年~以降もの100年は経ってます、激レア品
珍しくほとんど他で見たこともないモデル。日本現存希少モデル、もしほかであれば見たい
     一応売り物として作って再生修復してます値段応談

このパルテノン神殿のような足を持つヤマハピアノ、見たことないし 程度は破損個所なくオリジナル部品
健在。 100年たつピアノだろうがこれだけの状態で出てくるのは珍しい

ぴん板フレーム合わせの極意
音色強度的にも大きく影響するところでもあり
正確なフレーム合わせが求められる。何度も上げてはカンナで削り
の繰り返し

絶妙なピン板擦り合わせカンナがけ

ピアノの心臓部とも言われるぴん板の交換作業
じっくりと詰め合わせ時間はいくらでもあり。確実な修理
を施します

また向こう100年は持つだろう ̄~大工事だが歴史的ピアノでもあるので修理は妥協しない

ピン板合わせ穴の開いていないぴん板をフレームに合わせる

ペーパーパンチング新聞紙を当時仕様 はがきも対象になっていた時代
パンチングを作るときに要する 濵松 今では浜松となってる当時の様子がうかがわれる

ピン板作り直しのためにはぎ取るがこれがなかなか

ピアノは古い方がいい・・・・この言葉には半分は使えない半分は使える
という意味が込められている、部材自体はいいのだろうが
接着組立それから数十年~接着材は切れ 加工木材合わせは浮始め
金属は劣化~とさまざまな支障が起きてくるのもピアノです
一概にいいとは言えないので古ければいい。昔の物はつくりがいい
そこが素人は判断できないところなので。絶対に注意すべきところあり

弦を緩めていく 共鳴板割れがある
これらもなおして再生
ヤマハの音色でない音を聞きたい
寅楠さん小市さん 西川さん等が作っていたに違いない時代の物

歴史的逸品に当たる

珍しいより皆初めて見たピアノでもある後のU3という名前になる前のピアノ

わずかなずれも許さないまさに職人気質

元のチューニングピンのふとさをはかる

共鳴板は北海道蝦夷松!嘘のようなな話だが昭和30年ぐらいまでは
どの山葉も使われていた。今は天然記念物

3848番という製造番号はヤマハの歴史に照らし合わせても
ホントウニ初期モデル。カタログすらできてない時代
全てのアクション他つくり迄海外のピアノを意識して作られたか
今のヤマハに通じるところが少ない。試作品にしては激出木杉

渾身のピアノ復元作業。日本中探してもこのモデルは見つからないはず。激レアな一台だ
新品時のこのピアノの音色を聞きたい そして後世に残せるピアノにしたい
そのために妥協は許されない手の入れようだ
このモデルを手にできる人は幸せだピアピット全精力プライドをかけた一台に仕上げるつもりだ

既に当時鋳物つくりは日本にあったのだろうか?
輸入していたという話もある、ヤマハのフレームだが 今とはまるで違うしどこにもヤマハ
とは入っていない

ピン板のそぎ落とし、この後ぴん板を特注で作る

天屋根の取り外し

駒浮き 弦圧により抑え込まれていた、それが弦圧がなくなった途端に
浮始める
部材が悪いわけではないもうここまで来たらどんなピアノでも同じ症状に
見舞われる

ぴん板も割れているつくり直ししましょう

フレームにはまだピンブッシュが発明されていない時代の物スタインウエイ等と同じ感じに出来ている

地道にオーバーホールを進めていこう 一応売り物ですが気が変わることもあるので非売品になるかも

ぴあの脚も飾りもそうだが明治時代の洋迎賓館をかなり意識されて作ってある手で掘りこまれている芸術品
足1本でも高そうだ

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フレームには無記で山葉とも書いてない時代
大金持ち様の持ち物、それを物語るのは外賓として接待室におかれているピアノ
当時ピアノという認識は日本人にも芽生えていない時代の物